厳光列伝


厳光あざなは子陵、一名を遵、会稽餘姚の人である。
若いころから高明で、光武帝と共に遊学した。
光武帝が即位すると、姓名を変えて、身を隠し会おうとしなかった。
帝はその賢を思い、人相書きを廻して厳光を訪ねさせた。
後に斉国から言上があった。
「男子が一人いて、羊の裘を被って澤で釣りをしております」
帝はそれが厳光ではないかと疑い、玄纁を備えた安車を用意し、使者を遣わしてこれを招聘した。
三度往復した後やってきた。
北軍に舎どし、祷褥を給され、太官が朝夕膳を進めた。

司徒の侯霸は厳光と旧知で、使者を遣わして書を奉じた。
使者は届けたついでに厳光に言った。
「陛下は先生が至ったと聞き、すぐにでも詣でたいと欲しておられますが、典司が迫っており、来る事が出来ません。願わくば日暮れに、自ら出向いてお話になってください」
厳光は答えず、札を投げ返事を口述筆記させた。
「君房足下、位は鼎足に至り、甚だ善いことだ。仁にて懐かしめ義を輔ければ天下は悦び、阿諛し聖旨にしたがえば領地は絶えるだろう」
侯霸は書を得ると、封して上奏した。
帝は笑って言った。
「狂った奴め昔の態度のままだ」
車駕が即日館に行幸した。
厳光は臥せたまま起きず、帝はその臥せている所へいき、厳光の腹を撫でて言った。
「なあなあ子陵、相として私の政治を助けてくれんかな?」
厳光はまた眠ったまま応えず、しばらくして、目を見張り熟視して言った。
「昔、唐堯の徳は著しく、巣父は耳を洗った。士には故より志があり、どうして相に至ることができようか」
「子陵、私の意思を汝に下すことはできないのか?」
ここにおいて輿にのぼり嘆息して去った。

また厳光を宮中に引き入れ、道や昔の事を論じ、相対して日をかさねた。
帝は従容として厳光に問うた。
「朕は昔と比べてどうであろうか?」
「陛下は往時よりすこしよくなりました」
このため共に偃臥し、厳光は足を帝の腹の上にのせた。
翌日、太史が客星が御坐を犯し甚だ急であると上奏した。
帝は笑って言った。
「朕の旧友である嚴子陵と共に寝ただけだ」

諫議大夫に除せられたが、屈せず、富春山で耕作し、後の人はその釣りをしていたところを嚴陵Pと名づけた。
建武十七年、また特に徴されたが、やってこなかった。
八十歳で家で生涯を終えた。
帝はこれを傷惜し、詔を下し郡県に錢百萬、穀千斛を下賜した。