晋宣狼顧 漢祖龍顔


晋の宣皇帝諱は懿あざなは仲達、河内温県孝敬里の人。姓は司馬氏である。
若い時から聡明で大略多く、博学洽聞であった。
漢末期、天下が大いに乱れると、いつも慨然として天下のことを憂えていた。
魏武(曹操)が丞相となると召されて文学の掾となって、(官職を)歴任して相國にまでなった。
武帝(司馬炎)が(天下を魏の元帝から)譲り受け、尊号をたてまつられ宣皇帝という。
帝(司馬懿)は内面は急で外面は寛であった。
猜忌であって権変多かった。
曹操は司馬懿に雄豪の志があるのを察し、狼顧の相があると聞いて、これをしらべようとした。
そこで召して、前を向いて歩かせ、振り向かせると、顔は真後ろを向いているのだが体は正面向いたままであった。
また三頭の馬が一つの槽で食事をしている夢を見てとてもにくんだ。
そこで太子の曹丕に言った。
「司馬懿は人臣ではない。必ず汝の家事を預かるようになるだろう」と。
曹丕は司馬懿とは仲が善くかった。
いつも互いにたすけあっていたので、(誅殺されること)を免れた。


前漢の高祖諱は邦あざなは季、沛の豊邑中陽里の人。姓は劉である。
母の媼はかつて大澤のつつみで休息し、神と会う夢をみた。
この時雷鳴がなり電光がはしり真っ暗になった。
父の太公が行って視れば母の上に交龍がいる。
すでに妊娠しており、高祖を産んだ。
鼻が高く龍顔で、鬚(頬のひげ)髯(あごひげ)は美しく、左の股に七十二の黒子があった。
寛仁な性格で人を愛し、さっぱりしていた。
いつも大きなこころをもっていて家人の生産作業をやろうとしなかった。