馬知節(ば ちせつ) 
顕徳二年(955)〜天禧三年(1019)
字・子元
諡・正惠
父の馬全義は太祖の将軍だった。
七歳の時父を失う。



真宗の末のこと。
王欽若は上奏すたびに、多数の上奏文を懐に入れ、一つか二つだけを出して他はすべて隠していた。
退出すると勅許を得たとすべての上奏文を施行させた。
ある時、馬知節とともに上奏を行った。
王欽若が退こうとすると、馬知節は睨んで言った。
「懐の中の上奏文はどうして出さないのか」