陳堯佐(ちん ぎょうさ) 
乾徳元年(963)〜慶暦四年(1044)
字・希元
謚・文恵
閬州の人
端拱二年の進士



太常博士の陳詁は祥符県の知事であった。
県の役人達は陳詁の明察を嫌い、中傷して失脚させたいと思ったが、陳詁は清廉潔白でやれそうにない。
そこで、奇策を使い京師を動かそうと録事以下全員が役所を空にして逃去した。
はたして京師では「陳詁の政治は苛烈である」と喧伝した。
この時、章献明粛太后はまだ政治をみていた。
彼女は怒り陳詁を処罰しようとした。
陳堯佐は枢密副使であって太后を強く諫めた。
「陳詁を罰すれば奸人の計略にはまり、能吏を抑えることになります」
このことから陳詁は罪を免れた。