趙抃(ちょう べん)
大中祥符元年(1008)〜元豊七年(1084)
字・閱道
謚・清献
衢州西安の人
景祐元年の進士



趙抃は煕寧年間に大資政となり越州の知事となった。
両浙(江蘇と浙江)で旱魃と蝗害がおきて米価が高騰し、十人のうち五、六人は餓死した。
各州では各地に高札を立て、米価を釣り上げるのを禁じたが、趙抃だけは米を持っているものは自由に価格設定をして良いとした。
すると各州から米商人がやってきて、価格競争で米価は下がり、越州では餓死する者がいなかった。
趙抃の治世は評判が良いが、成都、杭州、越州ではことのほか良い。