張方平(ちょう ほうへい)
景徳四年(1007)〜元祐六年(1091)
字・安道
号・樂全居士
謚・文定
應天宋城の人
明道二年、茂材異等(特別試験である制科のひとつ)で官途につく



昔から、毎年、契丹に賜る金、衣服等をニ府を召して見せることをしていた。
熙寧年間、張方平は宣徽使だったので召見にあずかった。
皆は「天子が貢物を修めるのは恥辱です。陛下の神武をもって一戦し勝利を収めましょう」と言った。
一人張方平は次のように言った。
「陛下、宋と契丹はおよそ幾度戦い、その勝敗がいかなるものであったと思われますか」
両府の八人は誰も知らなかった。
神宗はどうであったのか張方平に聞いた。
「宋と契丹は大小八十一回戦っております。そして勝利を収めたのは張齊賢の太原での一戦のみ。陛下、和平と戦争とをくらべ、どちらがよろしいでしょうか」
帝はこの意見を善しとした。