田錫(でん しゃく) 
昇元四年(940)〜咸平六年(1003)
字・表聖
嘉州は洪雅の人
太平興国三年の進士
范仲淹から「天下の正人」と称される。



田錫は太宗の時、軍国の枢要なものを一つ、朝廷の本質的なものを四つ上奏した。
太宗は「田錫は文に優れ徳行あって言いにくいことを言う」と言っていた。
真宗が即位すると、しばしば召され意見を述べた。
過去に太平御覧を三百六十巻に要約して毎日一巻ずつ読まれるように請い、経書や歴史書から重要な語句を抜き出して十巻の屏風をつくり、帝が簡単に観れるようにした。
田錫が死ぬと、真宗は劉に言った。
「田錫は直言の臣であった。天は何故こうも早く彼を朕から奪ったのか。朝廷に間違いがあってどうしようか思案している時には、すぐに彼の上奏文が届いたものだった」