呉育(ご いく) 
景徳元年(1004)〜嘉祐三年(1058)
字・春卿
謚・正粛
建安の人
天聖五年の進士



王鞏が話していた。
父の王仲儀が言っていた。
陳執中が宰相を辞任した。
仁宗は後任は誰が良いかと尋ねた。
陳執中は呉育を推挙したので、帝はすぐに召しださせた。
乾元節の宴の時、呉育は酔って寝てしまった。
突然気がつくと、床をたたいて従者を呼んだ。
帝は驚き呆れ、西京留台(洛陽の留守居役の閑職)に叙任した。
この話から、陳執中は俗吏ではあるが、やはり賢人である。
呉育が宰相になれなかったのは運命であったのだ。
さらに晩年には心疾があったので重用することもできず、仁宗が才ある者を棄てる君主だったわけではない。