呉奎(ご けい)
大中祥符三年(1010)〜治平四年(1067)
字・長文
謚・文粛
濰州北海の人
賢良方正(制科のひとつ)を経て官途につく。



呉奎は、はじめ同郷の王彭年と仲が良かった。
その能力を称賛し官界で名を挙げるだろうと言っていた。
王彭年が京師で客死した。
呉奎は長子に葬儀をつかさどらせ、その家族の面倒を見て二人の娘の婚姻を成立させた。
親族で生活が出来ない者のために結婚の面倒を見てやった者が数人いる。
二千万銭で北海に田を買い、義荘として、貧乏な親戚や朋友達にめぐんだ。
呉奎が死ぬと、家に余財は無く、子供達の居場所すらなかった。
義に篤い君子というべきである。