范純仁(はん じゅんじん)
天聖五年(1027)〜建中靖国元年(1101)
字・堯夫
謚・忠宣
皇祐元年の進士
范仲淹の次子



録事参軍である宋儋年が毒が原因で急死した。
范純仁は犯人を突き止め法に従って処罰した。
最初、宋儋年は客を呼び宴会をした。
その夜、門下の人が急に病で亡くなったと告げてきた。
范純仁は、家人子弟を遣わしてその葬儀を窺わせた。
小殮の時に宋儋年の遺体の口や鼻から出血して顔を覆っていた布を汚した。
范純仁は死に方が普通で無いと疑った。
果たして、愛妾と小吏が姦淫をなしていた。
有司に付託して取調べをさせると次のように白状した。
「宴会の時にスッポンの肉の中に毒を入れた」
范純仁は言った。
「その肉はいつ出てきて、宋儋年は毒にあたってから最後まで席についていたのか」
そしてまた訊問させた。
すると宋儋年はやはりスッポンの肉に手をつけていなかった。
スッポンは客達がすべて平らげていた。
客が帰り、宋儋年も酔っていた。
毒を酒盃の中に入れ殺した。
罪人は後で自白を変えて死を逃れようとしたのだった。
人々は范純仁が姦を見破ったことは神明のようだと言った。
范純仁がいなければ、宋儋年の恨みが晴らされることは無かったであろう。