龐籍(ほう せき)
端拱元年(988)〜嘉祐八年(1063)
字・醇之
謚・荘敏
單州成武の人
大中祥符八年の進士



傅永が言っていた。
「皇祐二年、陜西に詔を下し、諸軍と新保捷を整理し、五十歳以上もしくは身長が基準以下の者は民に戻すことにした。
辺境はどうなるかわからないし、兵士を辞めると衣服と食料を得る手段がなくなり盗賊となる者が出かねないから兵を削減してはならないと反対の声が上がり、辺境の諸将の抵抗が最も激しかった。
当時宰相は文彦博で龐籍は枢密使だった。
二人は断固として兵員削減を実施した。
この年の新保捷の三万五千余りが帰郷を許され、皆大喜びで家に帰っていった。
残った五万余の兵は皆悲嘆し己が帰れなかったのを恨んだ。
陜西の国境では計算すると一年に七十貫で保捷一人を養っている。この年は年間二百四十五万貫が節約でき、陜西の民衆は少し蘇生できた」