彭思永(ほう しえい)
咸平三年(1000)〜熙寧三年(1070)
字・季長
廬陵の人
天聖五年の進士



彭思永の仁厚誠恕の性格は自然なものだった。
八、九歳の頃、父が岳州に赴任するのについて行った。
早朝に起きて学校に行こうとすると、門の外で金の釵(かんざし)を拾った。
そこに座ってやって来る者の様子を窺っていると、一人の吏がずっと徘徊している。
どうしてか聞くとやはり釵を探しているのだった。
彭思永がその釵の形状などを問うて信じられると思ったので、釵を差し出した。
吏は謝礼に数百金を払おうとした。
彭思永は断り、笑って言った。
「もし私が金を欲しいと思えば、釵はその程度の値段じゃないだろう」
吏は感嘆して立ち去った。
はじめて科挙を受ける時、貧しくて持ち合わせが無かった。
しかし、金の釧(うでわ)を数本持って旅館に棲んでいた。
同じ受験生達はその釧を見ては手にとって遊んでいた。
その中の一人が一つを袖の中に隠した。
彭思永は見ていたが何も言わず、誰も気づかなかった。
そして一つ足りないことに気づいてまわりが騒ぎ始めると、「数はこれだけだよ。なくなったものはありません」と彭思永は言った。
皆が帰ろうとして、釧を袖に隠した者が揖の礼をして手を挙げると釧が地面に落ちた。
皆は彭思永の度量の大きさに感服した。