徐積(じょ せき)
天聖六年(1028)〜崇寧二年(1103)
字・仲車
楚州山陽の人
治平二年の進士



徐積は若い頃から殺すことを戒め、蟻の群を見て踏まないよう気を使った。
仏書を読んだことはないが、仏を論じれば的を得ていた。
いつも一室に黙って座り、世の中とは関わり無いようであったが、天下の事を論じれば次から次へと倦むことは無かった。
広東から変える途中の人が客としてやってきて徐積に会い、辺境の事を語った。
徐積は山川の険しさ、堡塞の疎密さ番禺の搶手の利害について、まるで手元にあるが如く論じた。
客は嘆息して言った。
「家から出ないで天下のことを知るとはまさに徐公のことである」



徐積は歴史上の名将では諸葛亮を敬慕していた。
それは諸葛亮が学が広く、修養も厚いからである。
いつも言っていた。
「兵は大賢盛徳の人間のやることで、小才小智の人間が用いるものではない。用いるのが難しいだけでなく、言うのもまた難しい。もし、養う所に達して無いのにも関わらずこれを言えば、負けなかったことは無い」