韓維(かん い)
天禧元年(1017)〜元符元年(1098)
字・持國
韓億の子、韓絳の弟



はじめ、韓維と王安石は互いに仲が良かった。
王安石が政務を執り、韓維が国事を議してからはじめておかしくなった。
この時、論者は三経義を廃そうとした。
韓維は「王安石の経書の解釈は今までの儒者の解釈と同じで三経義を廃してはいけない」と思った。
司馬光は韓維と平素から交友があった。
ともに元老であるから登用され、事に臨むに当たり、一度も打ち合わせをせずに大体の流れを一致させようとした。
人々はその公平さに心服した。



韓維は嘉祐以来の名臣である。
神宗は韓維を深く知り、抜擢したかった。
たまたま王安石が政治を行い、旧法を変更して韓維の意見とことごとく異なった。
元祐の初めになって門下侍郎となった。
宣仁太后、哲宗ともに特別優遇した。
韓維は自ら四朝の旧臣として天下の重任を背負い、その知識を使おうと願ったが、在任一年未満で辞任した。
天下の人々はこれを惜しんだ。