韓億(かん おく) 
開宝五年(972)〜慶暦四年(1044)
字・宗魏
謚・忠憲
真定霊寿の人
咸平五年の進士



韓億と李若谷は科挙に合格するまで貧しかった。
ともに京師へ受験にきた。
外出して人を訪ねるときは交代で下僕をつとめた。
李若谷が先に登第し許州長社県の主簿の官を授けられた。
赴任の際、自身で妻の乗る驢馬の手綱を取り、韓億が李若谷のために荷物を背負った。
長社まで三十里まできて李若谷は韓億に言った。
「県吏が迎えに来るといけない」
そして箱の中に六百銭しかなかったが半分を韓億に贈り抱き合って大声で泣いて別れた。
次の科挙で韓億も登第した。
どちらも参知政事にまでなり、子々孫々姻戚関係を絶やさなかった。