高瓊(こう けい) 
清泰二年(935)〜景徳三年(1006)
字・宝臣
謚・烈武王
太尉
孫は英宗の皇后



ある日、衛士が支給米は陳腐だと言ってきた。
高瓊は「辺境守備の兵達は極寒にさらされ、食っている米は味噌と同じ色だ。お前等は毎日宮中から支給される米を食べ、しかもそれは先に陛下が御覧になっている。他と比べるとはおこがましいにもほどがある。一言でもそんなことを言い、私の軍を揺さぶるなら容赦なく斬る」と言った。
このため、誰もあえて何か言おうとはしなかった。
その後、高瓊は病に罹りしばらく出仕しなかった。
すると殿の下に古米をわざと置いた者がいた。
宦官がこれを帝の耳に入れたので一人につき精米一斛を下賜された。
高瓊は嘆息して言った。
「そんなことをするとは」
そして病気を理由に典軍を辞任した。