王質(おう しつ)
咸平四年(1001)〜慶暦五年(1045)
字・子野
王旦の甥で、王旭の子



王質は宰相の一族であったが驕らず華やかでもなく、清貧であることを宝としていた。
王旦が舎人だった時、家には何もなかった。いつも金を借り、弟達の面倒を見ていた。
期日がきても返せなかった時は乗っていた馬で返済した。
王質は蔵の中でこの証文を見つけ家人に示して言った。
「これは先代の清風だ。我等は守って汚してはいけない。大切に仕舞っておこう」
また顔真卿が尚書だった時に米を李大夫に請うた時の墨跡を手に入れ、それを石に刻んで拓本として、親族友人に贈った。
その雅尚はこのようだった。
だから生涯貧乏だったわけではないのに、いたるところで氷蘗の名声を得た。