王曾(おう そう) 
太平興国三年(978)〜宝元元年(1038)
字・孝先
謚・文正
青州の人
咸平五年の状元



真宗が危篤となると劉皇后は丁謂と謀って朝政を壟断しようとした。
後難を恐れて誰もが口をつぐんでいた。
宰相の王曾は、皇后の親戚である銭維演に言った。
「漢の呂后、唐の武氏(武則天)は分不相応の位につきました。その後、子孫は族滅され身をまっとうできませんでした。貴方は皇后に近い親類です。どうして参内して皇后を諫めないのですか。万が一、陛下がお隠れになっても、太子が即位なされ、太后が政務を補佐なさるのですから、劉氏にとってめでたいことではありませんか。もし万機を握ろうとし、天下に疑われれば、劉氏にわざわいがおこるでしょう。貴方もただではすまないでしょうな」
銭維演は震え上がり、参内して皇后を諫め、計画は沙汰止みとなった。



韓gが話していた。
王曾が宰相だった時、自分の門下からは一人も抜擢しなかった。
機会を見つけて范仲淹が王曾に聞いた。
「優れた人物を取り立てるのが宰相の仕事です。貴方様の唯一の欠点はこれでしょう」
王曾はおもむろに答えた。
「わからないかい。ある人に恩をかければ、そのせいであぶれた人の怨みはどこにいくのか」
范仲淹は嘆息して言った。
「本当の宰相だ」と。