李及(り きゅう) 
顕徳四年(957)〜天聖六年(1028)
字・幼幾
謚・恭恵
范陽の人
寇準の推薦を受ける



曹瑋は長いこと秦州にいて、何度も交代を願った。
真宗は王旦に誰を後任にしたら良いか下問した。
王旦は枢密直学士の李及を推薦した。
帝はただちに李及を秦州の知事に任命した。
それを聞いた人達は皆、
「李及は謹厳篤実で行いに節度もあるが、辺境守備の才能はないので曹瑋の後任としては不適格だろう」と話していた。
楊億はこの話を王旦にしたが、王旦は何も言わなかった。
李及は秦州に赴任したが、将軍や官吏達も李及を軽んじた。
たまたま駐屯していた禁軍兵士が白昼、市場で婦人の簪をひったくった。
胥吏がこれを捕らえてくると、李及は座って読書していた。
犯人を前にして詰問すると、罪を認めた。
そこでまた胥吏に引き渡すことなくその場で犯人を斬り、何事も無かったかのように読書に戻った。
将軍、官吏は驚き感服した。
日を置かずして噂は京師へ届いた。
楊億はこれを聞いて王旦に会いに行き噂を伝えてから言った。
「この前、宰相閣下が李及を用いましたところ、まわりの人々は李及はその任にたえられないだろうと話しました。今、李及の才器はこのようであります。宰相閣下は本当に人材を知っておられる」
「外の噂とは安直だね。禁軍の兵士が辺境を守りながら、白昼に市場で盗みをはたらいたら、主将がこれを斬るのは当たり前のことだよ。特別の処置をしたというには不足だね。私が李及を抜擢したのはそういう意図ではないよ。曹瑋が秦州の知事となって七年、羌族は服従し、辺境の事でやるべきことはすでに曹瑋がやりつくしている。他の人間が赴任すれば己の聡明さを示すために余計なことをして、曹瑋の実績が水泡に帰すだろう。私が李及を用いたのは、彼が慎重でかならず曹瑋のやり方を遵守すると思ったからだよ」
と王旦は笑って答えた。
このことがあって、楊億は王旦の見識にますます心服した。