魯宗道(ろ そうどう) 
乾徳四年(966)〜天聖七年(1029)
字・貫之
謚・粛簡
亳州の人
咸平二年の進士
あだ名は「魯直」「魯魚頭」



仁宗が東宮にいたころ(皇太子だったころ)、魯宗道は諭徳(教育係)だった。
住まいは宋門外にあって、俗に浴堂巷と呼ばれていた。
その近くに都でも有名な仁和という名前の酒肆があった。
魯宗道はよく服を変え、お忍びでその店に通い飲んでいた。
ある日、真宗が急いで魯宗道を呼び、下問しようとしていた。
使者が門までやってきたが、魯宗道は不在である。
しばらくして仁和酒肆から飲んで帰ってきた。
使者は先に帰ろうとして、魯宗道に言った。
「陛下が貴方の来るのが遅いことを怪しまれたら何とお答えすれば良いでしょうか?今のうちに口裏を合わせておきましょう」
「ありのままお伝えせよ」
「そんなことをすれば処罰されますよ」
「誰だって酒を飲む、しかし陛下を欺くのは臣として大罪である」
使者は溜息をついて去った。
はたして真宗は理由を訊ねた。
使者はありのままを報告した。
真宗は魯宗道に訊ねた。
「なんで勝手に酒を飲みに行ったのだ」
「私の家は貧しくもてなしの用意が出来ません。酒肆にはあらゆるものが整っており、客が次から次へとやってきます。たまたま故郷から親しい客が来まして、彼と飲んでしまいました。しかし私は服を変えており誰も私だと気づきませんでした」
真宗は「あなたは宮臣だ。御史に見つかれば弾劾されるぞ」と笑って言った。
しかし、このことから魯宗道を面白いと感じ、忠実なので、重用しようと考えた。
真宗が晩年、章献明粛太后(真宗の皇后劉氏)に重用すべき人間を話したが、魯宗道はその中の一人であった。
太后は後にそのとおりに任用した。