劉安世(りゅう あんせい)
慶暦八年(1048)〜宣和七年(1125)
字・器之
魏の人
煕寧六年の進士



劉航(劉安世の父)と司馬光は同年の契りをなした。
だから劉安世は司馬光について学問を習った。
煕寧六年に進士となったが官途につかず、洛陽に帰ってきた。
司馬光は尋ねた。
「どうして官途につかないのか」
劉安世は漆雕開(孔子の弟子)の「これいまだよくこれを信ぜず」を引用して答えると司馬光は喜んだ。
また司馬光について学ぶこと数年。
ある日、席を避け、心を尽くして行うべきことを尋ねた。
司馬光は言った。
「それは誠だろう。私は平生からこれを力行して、いまだかつて少しの間も離したことが無い。だから自分の行いで恥ずべきことは無い」
「それをするにはまずどうしたら良いでしょうか」
「余計なことを言わないようにすることからはじめよ」
それから劉安世はこの言葉を復誦して忘れることなく、死ぬまでこれを守った。
洺州の司法參軍となった。
この時、呉守礼は河北転運使で、法を厳守したので官吏に畏れられていた。
呉守礼はある日問うた。
「司戸が汚職をしていると告発する者がある。どう思うか」
劉安世は知らないと答えたので呉守礼は喜ばなかった。
翌日、倉庫を検査し司戸という者を呼び出して言った。
「お前を汚職で告発する者がいる。本来ならお前を取り調べるのだが、劉司法が知らないというのでしばらく猶予をやる」
このことから人々は劉安世が長者であることを知った。
しかし、劉安世の心は晴れなかった。
「司戸、実際には汚職をしていて私は誠を告げなかった。私は温公(司馬光)の教えに背いたのであろうか」
後に、楊子雲の「君子は礙を避けこれを理に通ず」を読んではじめて釈然とした。
そして言った。
「必ずしも全部を信じてそれでよいというものではないな」