劉摯(りゅう し)
天聖八年(1030)〜紹聖四年(1097)
字・莘老
謚・忠粛
東光の人
王安石が抜擢しようとしたが靡かなかった。



劉摯は同僚と上奏し、人材についての概要を論じてあった。
「人材は得難いものです。私は様々な士大夫を見てきましたが良否は一つではありません。忠実で才能見識ある者が上です。才能が高くなくとも忠実である者は次で、才能があるが不安定で仕事が出来るのがその次、邪念を懐き情勢を観察し勢いに靡いて態度を変えるのは小人ですので用いてはなりません」
ニ聖(哲宗と宣仁太后)は次のような諭旨を与えた。
「この言は全くもってその通りである。卿等がいつもこの通りであれば我等は何を憂慮することがあろうか」