薛奎(せつ けい) 
乾徳七年(976)〜景祐元年(1034)
字・宿芸
謚・簡粛
淳化三年の進士



王曙と薛奎はともに成都の知事となり名声が高かった。
章献太后の時、二人はともに執政の位にあった。
上奏が済むと蜀の話になった。
まず王曙が言った。
「私が蜀にいた時、兵が反乱を起こしたという報告があったので、その兵を捕らえて軍営の門前で斬捨てて事なきを得たよ」
すると薛奎が言った。
「私が成都にいた時も反乱の報告をうけました。そこで叱り付けて追い出し、何事も起きませんでした」と。