司馬光(しば こう)
天禧三年(1019)〜元祐元年(1086)
字・君実
号・迂叟
謚・文正
陝州夏県の人
王安石の新法に反対
資治通鑑の編者
先祖に司馬孚(司馬懿の弟)がいる



司馬光は幼い頃、他の人より物覚えが悪いことに悩んでいた。
皆と一緒に講義を受け、兄弟たちは皆暗誦できて遊びに行っても、一人帳をおろして閉じこもって暗誦できるまでようになってやっとやめた。
労力を他人より多く使った者はその効果が長続きし、精誦したものは死ぬまで忘れない。
司馬光はいつも言っていた。
「書物は暗誦できなければならない。馬上にあっても、夜中寝付けなくてもその文を読みその意味を考えれば得るところは多い」



帝は呂公著に言った。
「司馬光は方直であるが迂闊(現実離れしている)なのをどうしたらよいだろうか」
「孔子は聖人ですが、子路は迂だといわれ、孟軻は大賢ですが、当時の人々はかれのことを迂闊だと言っています。司馬光が迂闊だと言われるのは仕方ないことです。たいてい考え深い人間は迂闊に近いのです。願わくば陛下はあらためてそうした目で彼を御覧になってください」



司馬光が王安石に言ったことがある。
「貴方は新法を実施し小人を枢要な位、もしくは監司とした。どうしてか」
「新法を実施しても昔の人ははじめ従わない。だから若い者を起用し、新法が浸透したら小人は追い出し老成な人を使おうと思う。智者が実施して仁者が守るということだ」
「あなたは間違っている。君子は得がたく失いやすい。小人は逆だ。小人が権柄を握れば手放すわけが無い。罷免させようとすれば必ず讐敵となって悔いる日がやってくるだろう」
王安石は黙然とした。
その後、王安石を売る者がいて、後悔しても遅かった。