蘇洵(そじゅん) 
大中祥符二年(1009)〜治平三年(1066)
字・明允
眉州は眉山の人
蘇軾、蘇轍の父で、三人で三蘇と呼ばれ、区別して老蘇と呼ばれる(蘇軾が大蘇、蘇轍が小蘇)。



嘉祐のはじめ、王安石の名が高くなり、誰もが彼と交友を持ちたがった。
欧陽脩も王安石を良材であるとして、蘇洵に交友することを勧め、王安石もそれを願った。
蘇洵は言った。
「私はその人の事を知っている。人の情を持ち合わせておらず、天下の患とならないことはないだろう」
王安石の母が死んだので、士大夫は皆弔問に行ったが、蘇洵だけが行かずに弁姦の一篇をつくった。
蘇洵が亡くなって三年、王安石が政事をするようになって、言っていたことの正しかったことが証明された。