孫復(そん ふく) 
淳化三年(992)〜嘉祐二年(1057)
字・明復 号・富春
晉州は平陽の人
科挙に及第できず、泰山に隠居して春秋学にうちこむ。
学者として名を馳せ、五十一歳の時に時の宰相李迪に娘を押し付けられる。



范仲淹は睢陽にいて、学校を掌っていた。
孫秀才という者がいて、路銀を求めて范仲淹に目通りを願ったので、范仲淹は千銭を贈った。
翌年また、孫秀才は睢陽にやってきて范仲淹に会った。
范仲淹は十千銭(一万銭)を贈ってから聞いた。
「なんでいつも旅をしているのかね」
「老いた母がいて養うことが出来ません。せめて日に百銭あれば美味しい物を食べさせることが出来るのですが…」
「私が見たところ、君はただの物乞いではあるまい。二年もそんなことをしていては、得られたものもはしれているだろう。今私が君を月給三十千銭(三万銭)で学校職員として雇ったら、君は学問に専門できるかね」
これを聞いて孫秀才は大いに喜んだ。
春秋を学ばせると、孫秀才は昼夜を問わず勉強し、行いも脩謹だったので范仲淹は大いに気に入った。
翌年、范仲淹が転任すると、孫秀才も辞職した。
十年後、泰山に孫明復先生なる人がいて、春秋を教え、道徳高邁であると噂がたった。
朝廷が召してみると、昔、路銀を求めていた孫秀才だった。