孫奭(そん せき)
建隆三年(962)〜明道二年(1033)
字・宗古
謚・宣公
博州博平の人



孫奭は帝の前で経書の講義をし、話が乱君亡国のことになると繰り返し説明し、ためらうことは無かった。
またそれにかこつけ諷諫した。
五経の中で治世に大切なものを選んで五十篇の「経典徽言」と名づけた書を作って奉り、「無逸」を画いて図として座所において反省の一助となることを願った。
この時、荘憲明粛皇后が五日ごとに一度登殿し、仁宗と一緒に政務をみた。
孫奭は言った。
「古の帝王は早朝に朝廷を開いて日が暮れ、朝廷を開かれない日はありませんでした。陛下も毎日登殿して万機を御覧になられますように」
上奏は届かなかったが、帝と太后は孫奭を深く敬愛し、謁見するたびに厚く礼遇した。