曾肇(そう ちょう)
慶暦七年(1047)〜大観元年(1047)
字・子開
謚・文昭
治平四年の進士
曾鞏の弟



曾肇は次のような上奏をした。
「近世の帝王でもっとも善政をしいたのは唐の太宗の他ありません。善政のやり方を述べたのは唐の陸贄の右に出る者はおりません。太宗の正観の治(貞観の治)、その治世を人は成康(周の成王と康王)に近いと言い、史官はその大要を集め一冊の書とし、これは正観政要(貞観政要)と呼ばれております。陸贄は唐の徳宗に仕え気づいたことで言わなかったことはなく、また余すところもありませんでした。その帰すところの要諦は帝王の道に基づいてかならず六芸の文章と合っております。この二書は唐代の書物といえども、百王の亀鑑です。伏して願わくば、陛下は退朝されましてからの余暇は経書、史書を読まれるときはこの二書をとって座右に置いて心を留めて省覧なされ、言葉を発し行動を起こす時もこれを準拠されますれば成徳に万に一つも補わなければならないことはありません」