曾公亮(そう こうりょう)
咸平元年(998)〜元豊元年(1078)
字・明仲
謚・宣靖
泉州晉江の人
天聖二年の進士



省寺を領する者(中央政府の長官)の多くは貴いという理由で任命され、かつしばしば交代するので仕事を真面目にする者は少なかった。
そのため吏員は悪事を行えた。
曾公亮は詔や条例全てに目を通し、帳簿を確認し、是非可否を分別していい加減にしなかった。
なのでどこの部署でも能率が上がり、有能であるとの名声を得た。
歐陽修はほとんど人を誉めることはなかったが、三班にやってきては、いつも曾公亮のやり方を変えてはいけないと言っていた。
世間から敬服されているのはこのようである。



曾公亮は嘉祐年間に政務を執るようになって煕寧年間になっても中書省にいた。
高齢であるといえども精力は衰えていなかったので台諫が批難することも無かった。
ただ李復圭だけが良くないとして、詩をつくっていった。
「老鳳、池辺に蹲り飛ばない。饑烏は台上で噤んで鳴くことは無い」
曾公亮は致仕した。