宋庠(そう しょう) 
至道二年(996)〜治平三年(1066)
字・公序
謚・元憲
天聖二年の状元
はじめ、名は郊であったが仁宗の命で改名



宋庠は常日頃言っていた。
「人を傷つけて才能を誇り、詐術を見破って賢明であると誇るようなことは、私は生涯やらなかった」


王古が昔言っていた。
宋庠は言官に宰相の器ではないと言われ枢密使を罷め、洛陽太守となった。
一人の挙人(会試の合格者)がいて、荷物の中に税金未払いの品物があると挙人の下僕が訴えてきた。
宋庠は「挙人が試験を受けに来るのに商品を持ってくるのは当たり前のこと。重く罰する必要は無い。それよりも下僕の分際で主人を告訴するような風潮を助長させてはいけない」と言った。
すると同僚や部下達は、「犯人は(あなたを罷免に追いやった)言官の子ですよ」と報復しようと煽った。
しかし、宋庠はそれには答えず、ただ税院に送って倍の税金を納めさせ下僕を罰してこの件をおさめた。