狄青(てき せい) 
大中祥符元年(1008)〜嘉祐二年(1057)
字・漢臣
謚・武襄
汾州の人
一兵卒からのたたき上げの軍人で、韓g、范仲淹から重用される。
顔に罪人を示す刺青があった。
北宋第一の名将で後の岳飛と比される。


狄青は嶺南の賊を平定した。
賊の総帥である儂智高の兵は邕州へ敗走した。
狄青配下の将達は追撃して賊の本拠を討とうとしたが、狄青は次のように言って承知しなかった。
「有利な立場にあるからといって、勢いに乗って先の解らない場所に突っ込むのは大将のすることではない」
儂智高はこのため逃げるのびることが出来た。
世間では狄青が邕州へ追撃せず、儂智高が死地から逃れたことを批難した。
しかし、狄青の用兵は勝つことに主眼を置き、特別の功績を求めないことにある。
だから今まで一度も大敗することなく、功績を立てた回数が最も多く、ついに名将と呼ばれるまでになったのである。
囲碁にたとえれば、もう勝ちとわかればそれ以上攻めない。
なのにさらに攻めれば大敗することも少なくない。
狄青はこれを警戒している。
有利な立場に立って自戒できるところこそ、狄青が人に優れているところである。