杜衍(と えん) 
太平興国三年(978)〜嘉祐二年(1057)
字・世昌
謚・正献
紹興の人
大中祥符元年の進士
派閥争いに巻き込まれ七十日で宰相の席から去った。



杜衍の事務処理は彼の人柄そのままであった。
裁判においては明敏でありながら十分に配慮を行った。
そのためしばしば難件を解決し、神のようだと尊敬された。
帳簿処理では髪のように細かい額まで目を光らし長時間を費やした。
文書作成においては吏が悪事を働かないようにした。
民衆に対して政治を行う時は簡単でやりやすいようにした。
はじめ、杜衍は平遥いて、別の仕事で他州へ行った。
県の民で訴訟を抱えているものは、あえて結審させずに杜衍の帰りを待つほどだった。
乾州の知事だったとき、任期を終えてなかったが、安撫使は杜衍の行政能力の高さを買い鳳翔府の知事に任命した。
すると乾州と鳳翔の人達が州境で争った。
一方が「我々の知事様をお前等がとっていった」と言うと、もう一方は「もうこっちの知事様だ。お前等のものじゃねえ」とやりあった。



吏部の審官は天下の吏員をつかさどっているが、就任した者はすぐに転任していく。
だから胥員は悪事をしていた。
杜衍が就任してはじめ、ある役職に三人の候補者がいた。
杜衍は吏員に誰が良いか問うた。
吏員は丙から賄賂を貰っていたので、「甲がよろしいでしょう」と答えた。
乙は問題にされず他の役所にまわされた。
数日して、吏員は丙に、「甲はかくかくしかじかの理由から用いてはなりません」と訴えさせた。
杜衍は悟り、乙を召してこのことについて問うたが、乙は「すでに他の役職を得たので争いたいとは思いません」と言った。
杜衍はその役職をしかたなく丙に与えて、笑って言った。
「これは吏員の罪ではない。私が法をしらなかったからだ」
そして諸曹に命じてそれぞれの格式、科条をすべて揃えさせて言った。
「これで全部か」
「全てです」
翌日、諸吏に命じ執務室に入ることなく、座って文書を交付するだけにした。
このことから吏員は人事に関わることが出来なくなり、決定は杜衍が全ておこなった。
審官院に賄賂を持ってやってきて、官職を求めても、吏員は謝って受け取らずに言った。
「我等の上司は見識高く、道義を守られるお方だから、すぐに昇進して出て行かれる。もうちょっと待ってくれ」



門弟の一人が県令となった。
杜衍はその門弟を戒めて言った。
「君の器は一県令で収まることはない。しかし韜晦して圭角を表すようなことはせず、たとえ、己が正しくとも相手に合わせ、そこそこにしておけ。さもなくば何事もなしえず、禍を招くだけだ」
「貴方様は平生、直亮、忠信をもって天下に名をなしておられます。今、そのように私に訓戒なさるのはどうしてでしょうか」
「私は数多くの職を歴任し、年もとっている。上は帝王の知るところであり、次は朝野の知るところある。だからこそ自分の思い通りにできる。しかし、君は県令になったばかりであり、上手くゆくかは上司しだいだ。優れた二千石はそういない。もし認められなかったら君はどうやってその志を伸ばすことが出来ようか。いたずらに禍を招くだけだ。だから私は、君がたとえ間違っていても周りに合わせそこそこにしておけと言うのだよ」