余靖(よ せい) 咸平三年(1000)〜治平元年(1064) 字・安道 号・武溪 謚・襄 韶州の人 天聖二年の進士 余靖は契丹(遼)に使者として赴いた。 彼は契丹語が話せたので、契丹人は余靖を大いに気に入った。 再び使者として赴くと、さらに親密となった。 余靖は契丹語で詩を作ったので、契丹の主(遼皇帝)は大いに喜び、さかずきを飲み干した。 帰還すると、貶降させられた。