楊億(よう おく) 
開宝七年(974)〜天禧四年(1020)
字・大年
謚・文公
浦城の人
神童の誉れ高く十一歳で太宗より詩賦の試験を課せられる。



楊億は一人正論をふりかざした。
時に邪説をたばさむ者がいて、楊億に面と向かってからかって言った。
「君子は微を知り、章を知り、柔を知り、剛を知る」(易経の一節 要するにあんたはそれでも君子かと皮肉った)
「小人は恥じず、仁ならず、畏れず、義ならず」(同じく易経の同じ章の一節 要するに小人が小ざかしいわと一喝した)
と楊億は一蹴した。


楊億が文を作ろうとするたびに、門人、賓客と酒を飲み博打をした。
投壺や碁をして話し声や笑い声で喧しい中で構想を練った。
そして小さい紙に細く書き、筆は飛ぶ如く直すことはしなかった。一幅出来上がるごとに門人に命じて複写させた。
門人達は応接で疲れ果てる。
傾刻の間に数千言を成してしまう。
正に一代の文豪である。