楚の威王は徐州で戦勝し、齊から嬰子(田嬰)を逐うことを望んだ。
田嬰は恐れ、張丑は楚王に言った。
「王が徐州において勝つことが出来たのは盼子(田盼)が用いられなかったからです。盼子は国に功有り、百姓は彼のために働きます。嬰子は盼子と仲が良くないので、申縳を用いました。申縳という者は、大臣は相手にせず百姓も彼のために働こうとはしません、故に王は勝つことが出来たのです。今、嬰子を逐えば、必ず盼子が用いられます。するとまた士卒を整え王と(戦場で)遭うことになり、必ず王は不便なこととなるでしょう」
楚王は嬰子を逐わせなかった。


齊は田嬰を薛に封じようとした。
楚王はこれを聞き、大いに怒り、齊を伐とうとした。
そこで齊王は思いとどまろうとした。
公孫閈は言った。
「奉じられるか否かは齊によっては決まりません。楚で決まります。私が楚王と説き、楚王があなたを封じるように望むことが齊よりも大きくさせましょう」
嬰子は言った。
「願わくば、貴方に委ねたい」
公孫閈は田嬰のために楚王に言った。
「魯と宋は楚に仕え、齊が仕えないのは齊が大国で、魯、宋が小国だからです。王よ、魯、宋が小国であることを利として、齊が大国であることをにくまないのはどうしてでしょうか。この度齊が地を削って田嬰を封じるのは、国が小さくなり弱体化することです。願わくばお留めになりませんように」
楚王は言った。
「その通りだ」
このため田嬰が封じられるのを止めなかった。



靖郭君(田嬰)は薛に城を築こうとした。
客の多くは諫めた。
靖郭君は謁者に言った。
「客を取り次がないように」
齊人で謁見を求める者がいた。
その人は言った。
「三言だけ言わせていただきたい。一言でも多ければ煮殺してくれて結構」
このため靖郭君は会った。
客ははしって進んで言った。
「海大魚」
そして振り返り走り去ろうとした。
靖郭君は言った。
「客人よ、ここへどうぞ」
客は言った。
「私のような賤臣は、死ぬために敢えて戯れをなすなんてことはいたしません」
靖郭君は言った。
「そんなこと(殺すような事は)しない。続きを聞かせていただきたい」
「貴方様は大魚のことを聞いた事がありませんか。網でもとることは出来ず、鉤で釣上げることもかないません。しかしながら波で打ち上げられ水を失えば螻蟻ですらおもうように出来ます。今、齊は貴方様にとっての水です。長く齊にいればよろしいのです。どうしてわざわざ薛にでようとなさるのですか。齊を失えば、薛の城を高くして天にとどいたとしても、無益ではないでしょうか」
靖郭君は言った。
「わかった」
そして薛に城を築くのをやめた。


濮上での戦で、贅子は戦死し、章子(匡章)は敗走した。
盼子は齊王に進言した。
「余った食糧を与えるべきです。さすれば宋王は必ず悦ぶでしょう。梁氏(魏国)は敢えて宋を通過してまで齊を伐つようなことはしますまい。齊はまことに弱いです。ゆえに余った食糧で宋を収めておきます。齊国がまた強くなった時、宋に食糧を返すよう責めれば良いでしょう。返さなければ、それを口実に攻めれば良いのです」



邯鄲の難(魏に攻め込まれ包囲された)にあたり、趙は救いを齊に求めた。
田侯(齊威王)は大臣を召集して謀って言った。
「趙を救うべきか否か」
鄒子(鄒忌)は言った。
「救うべきではありません」
段干綸は言った。
「救わなければ、我等に利はありません」
田侯は言った。
「どうしてか」
段干綸はこたえて言った。
「魏が邯鄲を取れば、齊にとってどういう利があるのでしょうか」
田侯は言った。
「善し」
そして兵を起こして邯鄲の郊外に派遣しようとした。
段干綸は言った。
「私が言う利を求めるのと、趙を救わないことが利とならないこととはそういうことではないのです。邯鄲を救おうとしてその郊外に軍を派遣すれば、魏は趙を抜く事が出来ず軍は無傷でしょう。だからそうせずに、南の襄陵を攻めて魏を疲弊させ、邯鄲が抜かれたら魏の疲弊につけこめばよろしいでしょう。こうなれば趙が破れ魏は弱体化します」
田侯は言った。
「善し」
そして兵を起こして南の襄陵を攻めた。
七月かかり邯鄲は抜かれた。
齊は魏の疲弊につけこみ、桂陵で魏軍に大勝した。