寵禮篇


元帝(司馬睿)は正會(正月の儀式)の時に王丞相(王導)をうながして御牀に登らせようとした。
王公(王導)は固辞した。
中宗(司馬睿)はさらにねんごろに促した。
王導は言った。
「太陽が万物と輝きを同じになれば臣下は何を仰ぎ見ればよいのでしょうか」


桓宣武(桓温)はかつて参佐(幕僚)呼んで宿直させた。
袁宏、伏滔が相次いでやってきた。
府中(役所内)で点呼をとるともう一人(袁宏以外に)袁参軍がいた。
彦伯(袁宏)はこれを疑い、伝令にもう一度確認した。
伝令は言った。
「参軍といえば袁伏の袁です。どうして疑ったりするのですか」


王cと郗超はともに奇才が有り、大司馬(桓温)の抜擢されるところとなった。
王cは主簿となり、郗超は記室参軍となった。
郗超のひととなりは髯が多く、王cは背が低かった。
当時、荊州の人々は彼等を語って言った。
「髯参軍、短主簿の二人は、よく公を喜ばせ、よく公を怒らせる」


許玄度(許詢)が都にとどまること一月、劉尹は一日として訪ねない日はなかった。
そして歎息して言った。
「貴方が少しでも去らなければ、私は軽薄の京兆尹と成るだろう」