豪爽篇


王大将軍(王敦)が年少の時、田舎と呼ばれ、言葉にも訛があった。
武帝(司馬炎)は投じの賢人を召喚し共に技藝のことを話し、皆多くを知っていたが、ただ王敦だけは関するものが無く、顔色はとても悪かった。
そして自ら「鼓吹を打つ術はしっている」と言った。
帝が鼓をとって与えると、座から袖を振るって立ち、ばちを揚げて奮撃した。
音は軽快で、気迫は豪上し、傍らに人がいないようであった。
座の人々は挙って雄爽さに歎息した。


王處仲(王敦)は世間に高尚であると目されていた。
かつて色の溺れ、体がこのために弱ってしまった。
左右はこれを諫めた。
王敦は言った。
「私は気づかなかった。このようなのは(解決する事は)容易いことだ」
すなわち、後閤を開き、諸婢、妾数十人を駆りたて路にだし、それぞれの行きたいところへ行かせた。
時の人はこのことに感嘆した。


王大将軍は自らを評した。
「高朗疎率で学は左氏に通じている」


王處仲は酒を飲むたびに、いつも詠った。
「老驥櫪に伏すも、志は千里に在り、烈士莫年、壮心已まず」
如意で唾壺をたたいて、壺口はことごとく欠けてしまった。