倹嗇篇


和嶠はとんでもない倹約家であった。
家に好い李(すもも)の木があった。
王武子(義弟の王済)が求めたが、数十個しか与えなかった。
王済は和嶠が上直(朝廷での宿直)した機に、よく食べる少年をひきつれ、斧を持って果樹園に入った。
飽きるまで食べ、食べおわると木を伐ってしまい、車一台分の枝を送って和嶠に与えて言った。
「君のすももと、どうですか」
和嶠はどうなったのかわかり、ただ笑うだけであった。


王戎は吝嗇であった。
従子が結婚すると単衣を一つ与えたが、後にその代金を責めたてた。


司徒の王戎は貴い位にいて富んでいた。
邸宅、童牧、肥えた田、水車碓、のたぐいは洛陽に並ぶものがいなかった。
証文の仕事が多く、いつも夫人と蝋燭の下で数とり棒を散乱させて計算していた。


王戎は好い李の木を持っていた。
何時もこれを売っていたが、他人が種を入手するのを恐れて、いつもその核を穿っていた。


王戎の娘が裴頠に嫁ぎ、銭数万を貸した。
娘が帰省したが、王戎の表情は悦んでいなかった。
娘があわてて銭を返すと、機嫌が直った。