企羨篇


王丞相(王導)が司空を拝命すると、桓廷尉は両髻をなして、葛の裙を着、杖をついて道端でこれを窺い歎息して言った。
「人は阿龍(王導)はずば抜けていると言うが、阿龍は最初から私を超えている」
気がつくと薹門(役所の門)についていた。


王丞相は長江を渡ると自ら言っていた。
「昔、洛水のほとりでしばしば裴成公(裴頠)、阮千里(阮瞻)等の諸賢と道を談じたものだ」
羊曼が言った。
「人々は前々からこのことで貴方を認めています。今更言う事でもありますまい」
「私も今更言う事ではないと思っているが、ただその時に戻りたいと願うが、もうできないのだよ」


王右軍(王羲之)は人が蘭亭集の序文(いわゆる蘭亭序)を金谷詩の序文とくらべ、また、自分を石崇に匹敵すると評価され、たいそう嬉しそうだった。


王司州(王胡之)は先に庾公(庾亮)の記室参軍となった。
後に殷浩を招いて長史にした。
殷浩がはじめてやってくると、庾亮は王胡之を下都に使者として赴かせようとした。
王胡之は留まりたいとして言った。
「私は盛徳の人と会ったことがほとんどありません。淵源(殷浩)が始めてやってきてのですから、しばらく彼と交友したいと思います」


郗嘉賓(郗超)は人が自分を苻堅に比したので大いに喜んだ。


孟昶がまだ世に出る前のこと、家は京口にあった。
かつて王恭が高輿に乗って鶴氅を着ているのを見た。
この時、微雪が降っていて、孟昶は垣根からこれを窺って歎息して言った。
「この人こそまさに神仙中の人だ」