規箴篇


漢の武帝の乳母が外で罪を犯した。
帝は法に則って処刑しようとし、乳母は救いを東方朔に求めた。
東方朔は言った。
「これは言葉ではどうしようもありませんね。貴方がどうしてもたすかりたいと思うのなら、陛下の前から去るときに、しばしば陛下を顧みなさい。間違っても何か言ってはいけません。これが万に一つの助かる方法です」
乳母が帝の前にやってきた。
東方朔は帝の側に侍っており、言った。
「お前は癡であるだけだ。陛下がどうしてお前に乳を貰った恩を憶えているだろうか」
帝は才雄で非情な人ではあるが、極めて情に脆いところがあった。
なので不憫に思い、勅を発して罪をゆるした。


京房は漢の元帝と共に論じ、帝に問うた。
「(周の)幽王、脂、はどうして亡んだのでしょうか。彼等が任用したのはどういった人間でしょうか」
「任用した者が忠臣でなかったのだ」
「忠臣でないと知って任用したのはどうしてでしょうか」
「亡国の君は臣下が賢臣だと思っている。忠臣でないと知っていたらどうして用いたであろうか」
ここで京房は稽首して言った。
「今、古の事を顧みているように、後世の者が今を見ることがないようにと思われます」


陳元方(陳紀)は父の喪に遭い、哭泣哀慟し、体は痩せ細った。
陳紀の母がこれをあわれみ、密かに錦のふとんをかけてやった。
郭林宗(郭泰)は弔問に訪れ、これを見て、言った。
「貴方は海内の儁才で四方は手本としている。なのに喪にあたって錦のふとんをかぶっているのはどういうことか。孔子曰く『夫の錦を衣て夫の稲を食う、汝に於いて安きか』と。私は納得できない」
言い終わると衣を払って立ち去った。
この後、百日ほど客は来なかった。


孫休は雉を射るのが好きだった。
季節になると、早朝から出かけ、夕刻にかえった。
群臣でやめるよう諫めない者はいなかった。
「雉はつまらないものです。どうしてそれに耽るに足りましょうや」
孫休は言った。
「つまらないものといえども節操の堅さは人に勝っている。朕が好むのはそういうことだ」


孫晧は丞相の陸凱に問うて言った。
「貴方の宗族で朝廷にいるのは何人かね」
「二相、五侯、将軍十余人です」
「盛んであるな」
「君主が賢で臣が忠であるのは国が盛んであることです。父が慈で子が孝であるのは家が盛んです。今は政治が荒れ民は疲れ、国家の転覆を懼れています。私がどうして盛んといえるでしょうか」


何晏とケ颺は管輅に卦を作らせて(占わせて)言った。
「位は三公に至るであろうか」
卦が出ると管輅は古義をひいて深く二人を戒めた。
ケ颺は言った。
「これは老生の常談(口癖)だよ」
何晏は言った。
「幾を知るは其れ神か(物事のかすかな現れを知るのは神妙である)、古人も難しいとしている。交わりが疎いのに誠を言うのは今の人には難しい。今、貴方は一度会っただけで二つの難しいことをしてくれ、明徳惟れ馨しというところだ。詩(経)にも言うではないか、中心之を蔵す、何れの日にか之を忘れん(この思いを心に抱きいつか忘れなさい)と」


晋の武帝(司馬炎)は太子(司馬衷)の愚昧さを悟らず、必ず位を継がせたいと思っていた。
諸名臣もまた多く直言した。
帝がかつて陵雲臺に座っていた。
衛瓘が側にいてその懐の内をのべようと思い、酔ったふりをして帝の前に跪き、手で牀を撫でながら言った。
「この座を惜しみます」
帝は悟ったが、笑って言った。
「公は酔っておるな」