捷悟篇


楊徳祖(楊脩)は魏武(曹操)の主簿だった。
時に相国府の門を作り、始めて榱桷を構えた。
曹操自らやってきてこれを見て、人を遣って門に活の字を書かせ去っていった。
楊脩はこれを見ると即刻門を壊させ、壊し終わると言った。
「門の中に活といえば闊の字だ。王(魏王の曹操)は門が大きいことを嫌ったのだ」


ある人が、曹操に一盃の酪を贈った。
曹操は少し飲むと、蓋の上に合の字を書いてそこにいた人々に示した。
人々は理解する事が出来なかった。
楊脩のところにまわってきた。
楊脩はのんで言った。
「公(曹公つまり曹操)は皆に一口ずつ飲ませようとなさっておいでだ。ためらうことはない」


魏武はかつて曹娥碑のもとを通った。
楊脩が従っていた。
碑の背上に「黄絹、幼婦、外孫、韲臼」の八字が書いてあるのが見えた。
曹操は楊脩に言った。
「わかるか」
楊脩は言った。
「わかります」
曹操は言った。
「貴方はまだ答えを言ってはいけない。私が解くまで待て」
三十里すすむと曹操は言った。
「私もわかった」
そして楊脩に別に解答を記させた。
楊脩は言った。
「黄絹は色絲でこれは絶の字です。幼婦は少女、少女は妙の字です。外孫は女子、女子は好の字です。韲臼は辛を受けます、辛を受けるのは辤の字です。いわゆる絶妙好辞です」
曹操が記したのも楊脩と同じであった。
そして嘆息して言った。
「私の才が貴方に及ばないのは、すなわち三十里であることがわかった」


魏武は袁本初を征伐しようとして、軍装を整えさせると、数十斛の竹片が余った。
すべて長さは数寸。
皆は「役にたたない」と言った。
そして焼却処分すようとした。
太祖(曹操)はこれの使い道を考え、思った。
「竹椑楯をつくれば良い」
しかしまだそのことは言わずに使者をやって主簿の楊脩に問うた。
楊脩がすぐに答えると曹操と同じ考えであった。
人々はその辮悟に感服した。