容止篇


魏武(曹操)は匈奴の使者と会見しようとしていた。
自分は容姿は陋しく、遠国を圧するには足りないと思った。
崔季珪(崔琰)を身代わりにして、自分は刀を持って牀頭に立っていた。
会見が終わって間諜に次のように問わせた。
「魏王はどうでしたか」と。
匈奴の使者は答えて言った。
「魏王は雅望は普通ではありません。しかしながら牀頭で刀を持っていた人、彼は英雄です」
曹操はこれを聞いて、追ってこの使者を殺させた。


何平叔(何晏)じゃ容姿うるわしく、顔はとても白かった。
魏の明帝(曹叡)は白粉をつけているのではないかと疑い、真夏に熱いうどんを与えた。
食べ終わると大汗をかいて朱衣で自ら拭うと、顔の色は白くかがやいた。


魏の明帝は皇后の弟の毛曾を夏侯玄と一緒に座らせた。
時の人は言った。
「葦が玉樹によりかかっている」


時の人が批評して言った。
夏侯太初(夏侯玄)は朗朗として日月をふところに入れているようだ。
李安國は頽唐として玉山が崩れようとしているかのようだ。


嵆康は身の丈七尺八寸、風姿は特に秀でていた。
彼を見た者は歎息して言った。
「蕭蕭粛粛として、爽朗清挙である」
ある人は言った。
「粛粛として松の下の風が高く吹きわたるようだ」
山公(山濤)は言った。
「嵆叔夜(嵆康)のひととなりは、巖巖として一本松が独立しているようなものだ。それが酔うと傀俄として玉山が崩れようとするようだ」


裴令公(裴楷)は王安豊(王戎)を次のように評した。
眼は爛爛として巖下のいなずまのようだ。