讒険篇


王平子(王澄)は見かけはとてもさっぱりしているが、内実は勁侠である。


袁スには口才があって、短長の説をよくして、理論は清然としていた。
はじめ謝玄の参軍となって、頗る礼遇された。
後に、親の喪に遭い、服喪を除き都へ還ると、戦国策を持っているだけであった。
人に語って言った。
「少年の時、論語、老子を読み、また荘(荘子)、易(易経)を看たが、これらは皆読むのが辛く、何の役にも立たない。天下に必要なのはただ戦国策があるだけだ」
都から下ると、司馬考文王(司馬道子)を説き、大いに信任され、ほとんど機軸を乱そうとしてにわかに誅殺された。


考武(司馬曜)は甚だ、王國寶と王雅を親敬していた。
王雅は王cを帝に推薦し、帝はこれに会いたいと思った。
かつて夜に王國寶と王雅と相対し帝はわずかに酔っていたが、王cを喚ばせた。
王cが到着するころになり、取次ぎの声が聞こえた。
王國寶は自分の才が王cに劣っている事を知っていたので、帝の寵愛を奪われる事を恐れ、言った。
「王cは当今の名流です。陛下は酒色あるときに彼と会ってはなりませぬ。別の日に詔を下して召しだすべきです」
帝はその言葉にそれもそうかと思い、心にもって忠であるとして、遂に王cに会わなかった。


王緒しばしば殷荊州(殷仲堪)のことを王國寶に讒言した。
殷仲堪はこれを患え、手段を王東亭(王c)に求めると、王cは言った。
「あなたは、ただ、しばしば王緒を訪ね、人を遠ざけて何も関係ないことを論じなさい。このようにすれば、二王のよしみは離れるでしょう」
殷仲堪はこれに従った。
王國寶は王緒に会って言った。
「この頃、殷仲堪と人を遠ざけて何を話しているのかね」
王緒は言った。
「もとよりいつもの往来で特別の話はしていませんよ」
王國寶は王緒が自分に隠し事をしていると思った。
はたして二人の情好は日々疎遠になった。
讒言も自然にやんだ。