太史公曰く、樗里子は公族だったゆえに重んぜられ、それは当然の事であるが、 秦の人も樗里子の智を称え、その業績の多くが残されている。 甘茂は下蔡の陋巷から身を起て、名を諸侯に轟かせ、大国である斉や楚でも重んぜられた。 甘羅は年少であったが、1つの奇計で、その名は後世においても褒め称えられた。 篤実な君子ではないが、しかれども戦国の策士である。 秦が強大となった時代、天下は権謀詐術にのみはしったのである。