子産列伝



子産というのは鄭の大夫に列せられるものである。
鄭では昭君の時、昭君の寵臣である徐摯を宰相に据えたが、国は乱れ、君臣は親しまず、親子が和むことは無かった。
そこで大宮子期が進言し子産が宰相に任命された。
子産が宰相となって一年経つと、子供達は侮り戯れることなくなり、白髪まじりの老人は重い荷をさげもつことなく、未成年が野良仕事をすることがなくなった。
二年経つと、市場から掛け値が消えた。
三年経つと、夜に戸締りをしなくなり、道に落ちている物があっても拾う者がいなくなった。
四年経つと、農具を持ち帰ることが無くなった。
五年経つと、徴兵用戸籍が不要となり、服喪期間も命令なくして守られるようになった。
子産が宰相の位にあること二十六年で子産が亡くなると、壮年にあるものは号泣し、老人も幼児のように泣き叫び言った。
「子産様は我らを残して亡くなられた、これから我らは誰を頼れば良いのか」